#91 トランポノミクスか、サステナビリティか

新たな年が明けて株価が上昇しています。特に、NY株式市場では、トランプ米次期大統領の掲げている公約、特に、公共投資、規制緩和、減税の政策が好感されて、値を上げているということです。 東京市場も、米国のこの株高と、米国経済の好調を当て込んだドル高円安(円を売ってドルを買う)の為替相場の動きに呼応する形で株高で年を明けました。
 
さて、トランプ米次期大統領は、自動車業界に対して、メキシコでの自動車生産に対して圧力をかけており、フォード社はメキシコ新工場建設計画を断念して、米国内での生産を見直して700人の雇用を創出すると報じられています。
 
20世紀の経済合理性の原理から考えると、低賃金の国や地域、資材調達コストを低く抑えることのできる国や地域、市場に近い所で工場を持って生産するのが良いということになります。
 
一方、国内の雇用を守ろうとすると、海外への工場移転を阻止し、海外(海外移転した工場)からの輸入に関税をかける、他国の事業者の国内への工場誘致を促進するといった政策をとることになります。
 
これらの議論は古くからある議論である、民間企業の競争原理に基づく自由主義経済なのか、国等の政府が主導する雇用を確保する保護主義経済なのかという対立軸の構図です。 そして、皮肉なことに、ビジネス界で成功し、労働者の雇用を守ることを公約として当選した次期大統領の思考の中にある二律背反する原理が入り混じった自己矛盾のある政策として展開されていきそうだという状況です。 極論を言えば、自由主義は勝者・敗者を生み経済格差問題を引き起こし、保護主義は、利権争い、既得権益を維持する非合理性、そして、国等の間での紛争の種を生み出します。

 

トランポノミクスはサステナブル、社会の持続可能な発展につながらない

トランポノミクスは、こうした自己矛盾のある政策ですので、破たんをきたす運命にあります。その意味で、この制度・政策に持続可能性はありません。
 
しかし、大事なことは、制度・政策のサステナビリティ(持続可能性)ではなく、社会の持続可能な発展につながりうるかという議論です。 直接的には、新興国市場が求める車の低公害化、温暖化対策の上では脱ガソリンエンジン車の開発、交通事故を減らすという意味では自動運転車の開発、人々の移動を便利にする交通システムの開発が重要であり、社会コストをあまりかけずにこれらを社会に普及させることが喫緊に求められています。
 
グローバルに見れば、人口は増大し続けており、かつ、人口の多い国々の経済が成長して、誰もが等しく裕福な生活と利便性を追求していける世の中へと変わりつつあります。 その一方で、全人類の需要を満たしつづけるだけの資源が地球上に残されているのかという資源枯渇化、廃棄物の増大と汚染の拡大、森林・深海の奥深くまでへの資源開拓に伴う環境破壊のさらなる深刻化、地球温暖化がどんどん進んでいきます。
 
こうした問題に対する警鐘は20世紀の終わりごろから盛んに鳴らされてきましたが、そもそも20世紀に確立されてきた多くの合理性を追求する論理思考法には、サステナブル思考法が織り込まれていません。 そして、トランポノミクスの議論についても、ビジネス感覚が先行するばかりで、新たな発想はなくサステナブル思考も含まれていません。
 
これから数年の間、トランポノミクスにとどまらず、グローバル規模での保護主義の台頭に関する話題で世界中はかき回されると予測されます。 しかし、その先にある人類の未来の議論が進まないということは許されません。 外には自由主義、内には保護主義を主張し合う不毛な議論の先に新たな発想の転換、パラダイムシフトが起きます。 その時に備えて、サステナブル社会を実現する思考方法を十分に進化させておくというのが、サステナブル経営を目指す企業経営者の役割だと考えています。

 
サステナブル・イノベーションズ株式会社 代表取締役社長 池邊純一

2 thoughts on “#91 トランポノミクスか、サステナビリティか

  1. ウルグアイのムヒカ大統領のことを年末テレビでみました。
    昨年日本を訪問し、「人のために努力しとても責任感が強い国民性でそれは欧米にはないものです。」
    ここまではよいのですが、「でも日本の人々は幸せを本当に感じているのかと思いました。」
    「家族、友人たちと楽しく語らう時間を持てることが大切です。」
    「お金では幸せにはなれない」と世界一貧乏な大統領は言われたそうです。

    私は高校性の頃「ウサギ小屋に住んだ労働中毒患者」と日本が揶揄されるのを聞いてとても残念に思った時期がありました。
    それから物質的には豊かになれども、心の豊かさは進展が少ないように思う次第です。
    日本人は世界でも比較的高い所得がありますが、そのために多くの時間を使いすぎなのだなあと感じます。
    GDPをはじめとする指標ではその国の豊かさ、まして幸せ度は測れないと感じました。
    心の豊かさを得ようとしても現実の厳しさ(食っていくことが最低ライン)がたちはだかることは相変わらず延々とサステナブル?
    皮肉を言っている場合ではないですが、言われていることは全くごもっともです。
    もっと家族と友人と楽しくやりたい、それはそうしたくても日本人の良いところと相反していてなかなか実行はむずかしい。
    ギリシャは国民の多くが公務員で国が破産、日本は働けど働けど心に余裕がないままどころか経済、安全、安心すべて先が見えない。それでもどちらかというと心にゆとりがあるのはギリシャ?と言いたいのがムヒカさんかな?
    いやいや、日本はまだまだほかの国より安全だから心のゆとりはそれほどでなくても安全のほうが大事だというか?
    大事なのはお金でなくて、時間である、いや心のゆとりはまた違う。。。多変量解析?
    大震災の時に話を聞いてくれるお坊さんは偉い!なかなかできないことです。それが心のひとつかな?
    お金と時間は相関関係あるけれど。。。たとえば時間当たりの所得は日本は相当低いとか。。。

    1. 心の豊かさへの思いがこもったコメントと拝読し感謝申し上げます。
      お送り頂きました内容に共感し、賛同致します。

      「ウサギ小屋に住んだ労働中毒患者」と揶揄された1979年以降、80年代は、ひたすらバブル景気へと突き進んでいく時代でしたが、豊かさの議論もなされていたと記憶しています。

      その後、バブル景気の崩壊やリーマン・ショック後の不況を経験し、経済の低成長時代、デフレ経済マインドを引きずっている現代社会にあって、経済の成長を支える企業においても、業績アップのための目標を策定し、人手不足から、未だに、長時間残業が社会問題になっています。

      80年代も、現在も、生きるために誰もが必死に仕事をしています。しかし、80年代はやがては給与も上がり、より裕福になれるという望みと希望を持って働いていました。 今は、むしろ、働いても働いても、お金は貯まらず、身につくキャリアにもならず、多くの人達が非正規社員となり、いつ職を失うかわからない不安を抱きながら、ゆとりなく汲々と働きながら、日々を生きているという感じです。

      今、副業がようやく議論され始めました。雇用者側の視点から労働力不足や多様な能力の育成、人脈構築にもつながる利点もあり、『正』だけでなく『副』の仕事にも就けられるようしようとのことです。

      経済が右肩上がりに成長し、事業も拡大し、家計にも余裕ができ、物質的に豊かになって裕福になることを望まない人はいません。その一方で、裕福であっても心豊かに暮らせるとは限らないと、多くの人が感じているようにもなりました。倹しくとも、人と同じではなく、自分らしい生き方、自分が思い描くライフスタイルを楽しみたいという人も増えています。

      副業は、本来的には、一人ひとりが、自分のやりたい幾つかのことを『複業』することで、職を失う不安を乗り越えて、自立して生き甲斐と働き甲斐をともに実現できるようになり、夫々のやりたいことへの夢や理想を語り合える、多彩で豊かな人間関係を培っていくまでにならなければなりません。

      ところで、マクロな視点で捉えた人口統計的な根拠はありませんが、また、第1次ベビーブーム(団塊世代)、第2次ベビーブーム(団塊ジュニア)といった捉え方もありますが、概して、戦前・戦中の人達は大家族の中で育ち、高度経済成長期には核家族の中で育ち、そうした人達が今、高齢者となって夫婦が死別するなどして独居高齢者となっていくというのが実態です。そして、その次に位置する現在の現役世代の多くの人達は定職にも就けず、経済的理由等で、非婚化や晩婚化して少子化し、家族を持てない状況にもなっています。

      独居高齢者や単身住まいの働き盛りの人達が地域社会から孤立し、仕事を通してのつながりが中心となっていた社会も、非正規雇用化が進み、益々、人とのつながりが持てない時代となってきています。

      こうした社会問題が複合して、「家族、友人たちと楽しく語らう時間を持てる」の理想に反して、家族が持てない、友人だちを持てない世の中になりつつあります。

      「現実」と「理想」とのギャップが「問題」であると、言葉としての定義に基づいて合理的に解決しようとする人もいますが、現実は複雑に絡み合い、理想も人によって多様です。社会問題は、その一面だけを捉えても解決には至らず、多方向から多面的に取り組んでいくことが必要です。

      欧米的な経済合理性に基づく発想で、日本の生産性が低いと揶揄する人もいますが、例えば、日本人の心遣い文化やおもてなしの仕方を、欧米的価値観で比較するのではなく、一歩進めた、別の考え方で比べてみる必要もあるのではないかと考えています。

      ご指摘の様に、多変量解析による探究も必要と思いますし、確かに、ギリシャ的なゆとりの追求には心惹かれ、お坊さんから、辛い心に寄り添った言葉をかけてもらうと癒されるものです。

      「家族、友人たちと楽しく語らう時間を持てるようにする」ために、絡み合った社会問題そのものを解決しようとすることは難しく、どうしても、対症療法になりがちです。

      一方、高齢化の最も進んだ国として、統計的な数量化手法のその先に、社会問題を全体として上から目線ではなく、一人ひとりの思いやりの心と日本的な発想で築いた土台を拠り処に、誰もが、自分の暮らし中の工夫や時間の過ごし方、自立した働き方を通してできること、そして、そうした一人ひとりのきめ細かい視点からの取り組みを積み上げていくことによって、社会そのものが“癒される社会”になって、社会問題を全体として自ずから解決していけるようにすることが大事なのではないかと感じています。

      サステナブル・イノベーションズ株式会社 代表取締役社長 池邊純一

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