当コラムでは、これまで、企業として創造する社会的価値について考察してきました。ここからは、思考を深めるために「食」をテーマとした「戦略眼と現実解」について深掘りしていこうと思います。
1.なぜ「食」からなのか
ところで、なぜ「食」かというと、下記理由により、「食」は私たちの暮らしに最も密接につながっているからです。
- どんな生物にとっても「食」は命をつなぐものであり、日々の生活に欠かすことはできないものです。もし、大規模な自然災害によって地球規模で食料が不足し「世界的な飢饉」が生じたら、おそらく、世界の穀倉地帯を抱える国は競って輸出を止めて自国民を守ろうとするでしょう。平時から「食」については戦略眼を持って取り組まなければなりません。(*1)
- ロシアのプーチン大統領が、2024年10月24日に閉幕したBRICSの首脳会議の場で「穀物版OPEC」の創設を提案したように、農産物の大量輸出国は国際価格支配力を強めていこうとするでしょう。この意味でも、平時から「食」については戦略眼を持って取り組まなければなりません。
- ESGが浸透し、企業に脱炭素化への対応と開示が迫られています。しかし、「脱炭素化」であろうとなかろうと「食」に関する問題は「生命」にとって本質的であり、より恒久的に根本問題です。化石燃料が排出する温暖化ガスが引き起こす気候変動(エネルギー問題)が、農業に、ひいては、食に影響を及ぼすこと(*2) を考えれば、「食の問題」を中心に捉えて脱炭素化への取り組みを深掘りする必要があります。
- 円安が進んで原材料の値上がりによって食品の価格は軒並み値上がりしています。世界の状況や政治経済情勢によって、食料自給率の低い日本人の食料の安全は振り回されています。
- これまで貧しかった国々の経済が発展し、中流層の美味しい食を楽しむ人口が増えてきました。そのため、例えば、水産資源の枯渇化が進んできました。かつて、季節を楽しむ安くておいしい食材は高値となり、食卓に上る機会も減ってきました。
これらから分かることは「食」は国民全体の安全保障として扱うべきテーマだということです。「食」に関わっている企業は、必然的に、本業の事業戦略として取り組んでいかなければなりませんが、直接「食」に関わっていない企業にとっても、従業員の健康を維持していくためだけではなく、「食」に関わる諸問題の解決を自分事として捉えて、積極的にビジネスに関係づけて取り組んでいかなければなりません。
(*1) 江戸時代に起きた天明の大飢饉(1782-1788)は、一説によれば、1782年からの異常気象(暖冬)、1783年の岩木山と浅間山、1783年のアイスランドのラキ火山 の巨大噴火、1783年~1785年のグリムスヴォトン火山 の噴火が原因と言われています。
(*2) 例えば、昨年の夏の猛暑の影響でお米の収量が減少したことが一因となって起きた「令和の米騒動」は記憶に新しい出来事だと思います。世界的には、オリーブオイルやカカオ豆、コーヒー豆なども産地の不作により高騰しています。
2.「食」に関する様々なジレンマ
2.1. 「贅沢な食」に関わるジレンマ
かつて、日本を欧米型社会における「贅沢な食」の裏では、その食材の生産国での苛酷で低賃金の労働がありました。その反省から、フェアトレードなどが広がり、今日では苛酷な労働によらない食材の供給が世界的に求められるようになってきました。
2.2. 「低価格の食」に関わるジレンマ
日本を含む西欧型社会は総じて成熟化し、右肩上がりの経済成長は見込めず、物価高も相まって生活は一向に上向く気配はありません。日本も一億総中流社会は遠い昔のことであり、今の現実は、社会全体として経済的に困窮してきています。価格が安く抑えられた「食」が求められることになりますが、そのためには、その食材の生産国での低賃金の労働が必要になります。これは食材に限らず、衣料品などが顕著です。私たちがリーズナブルな価格で入手できる商品の裏には、必ず、生産国での低賃金の労働があります。
2.3. 原産地への集中化と多角化のジレンマ
規模の経済原理に基づいて、特定の原産地からの大量仕入れが一般的です。しかし、今日では、気候変動により主要な原産地における天候不順により農作物が不作となるリスクが高まっています。また、国際社会で分断が進むことにより、輸出が規制される地政学的リスクも高まっています。こうした複合的な要因により、現在では、原産地の多角化が求められるようになりました。
2.4. 「食」の地産地消のジレンマ
「食の国際化」が進み、安価な食材の輸入が増える一方で、「食の安全保障」の意味合いから、輸入に頼らないようにして、食料自給率を高めなければなりません。「食の地域化」と同時に、国内においても、地域経済の活性化や物流コストの低減のために(温暖化ガスの排出削減のためにも)地産地消が求められます。
3.これからの時代の「食」に関わり採用すべき戦略モデル
これからの時代に「食」に関する様々なジレンマを乗り越えていくためには、単に、自分だけの利益を追求すれば良いという戦略モデルではなく、社会全体として発展していく戦略モデルを考えていかなければなりません。
3.1. プロダクトの競争優位性の戦略モデルからビジネス・エコシステムによる模倣できない希少な価値を創造する優位性の戦略モデルへ
高度経済成長を支えた大量生産・大量販売・大量消費・大量廃棄の経済モデルの下で流行した競争戦略、例えば、業界分析の 5-Forces フレームワークは古典的な経営学説となり、今日においては、素材や原材料の供給業者、製品の生産者、販売チャネルの様々な事業者が協業して、個々の顧客の経験価値(例えば、感動体験の提供)を実現するビジネス・エコシステムという戦略モデルが一般的になっています。ビジネス・エコシステムでは、差別化されたプロダクトの優位性、あるいは、低価格優位性はもとより、それ以上に、他の事業者が模倣できない希少な価値を創造することのできる優位性が問われます。
「食」に関する戦略は「食の流通」、すなわち、食料資源の供給と食品の需要に関わる戦略だという印象を持たれるかも知れません。この意味では、「食」に関してもビジネス・エコシステムの戦略モデルが有効に思えます。しかし、「食」に関しては、2.1.~2.4. のジレンマ問題を内在しているため、きめ細かいビジネス・エコシステムの戦略を構想し、実現化しなければならないことを頭に入れておく必要があります。
3.2. 不法移民問題の解決から考える戦略モデル
食材の原産国の貧困問題を解決するためには、貧困層の人たちが労働参加できるように教育機会を提供し、労働力として雇用することが、まず、第一に求められます。しかし、その食材の原産地における賃金を低く抑えたままでは貧困問題は解決しません。そこで、生産性を高めてく工夫が必要になりますが、これこそが、貧困問題を解決する唯一の方法であり、ひいては、貧困国から先進国への不法移民問題の解決につながる方法でもあります。「食」のビジネス・エコシステムの戦略モデルは、こうした大局的な視点からも考えていかなければなりません。
サステナブル・イノベーションズ株式会社 代表取締役社長 池邊純一