#305 戦略眼と現実解 思考せずに思慮深くあるコミュニケーション

 『思考せずに思慮深くある “ Be thoughtful without thinking ”』 というのは矛盾した言葉です。これは筆者の造語です。最近は生成AIが普及し日常生活の中に浸透してきていて、知識を検索して文書を生成する頭を使った作業を効率よく行えるようになりました。チャットやメールでも、生成AIが作成した文章をやり取りすることもあります。

1.「思考せずに思慮深くある」はどういうことなのか

 生成AIに質問して返ってくる回答を読んでいる時に、私たち人間は、あたかも思考しているように思えますが、実は、回答文内容を追いかけているだけで、思考停止状態になっているのかも知れません。また、生成AIが生成する回答には、自分の知識の範囲を超えた幅広い知識と結びつけられていて、そこに思慮深さを感じることさえあります。『思考せずに思慮深くある “ Be thoughtful without thinking ”』 とはこういう状態のことを意味しています。

 生成AIを使った文章のやり取りは、人間が機械に代理で考えさせていると言えるかも知れませんが、もはや逆転して、機械が生成したことを人間が代理で考えさせられているのかも知れません。

2.組織におけるコミュニケーション

 知っていることをただ伝えるのではコミュニケーションにはなりません。例えば「東京の今年の夏日は観測史上最多の153日でした」だけではだめで、そこに相手に対する思い遣りや示唆が含まれていて、かつ、それに同意したり反論したりするのがコミュニケーションです。先の例では「東京の今年の夏日は観測史上最多の153日でしたが、たいへんでしたね。やっと秋らしくなりましたが、お体にはお気をつけくださいね」といった具合です。しかし、組織におけるコミュニケーションはもっと意図的な意味合いが含まれています。

 組織の中で業務をこなすために、誰もが、目の前に起きている事象を捉えて、その意味を理解し、問題の有無と重要性、及び、なすべき課題が何であるかを判断し、何をどういう手順で解決していこうかと考えなければなりません。こうした状況に直面した時に、私たちは無意識に解決策としてのモデルを生産しています(以下、モデリング)。

 組織におけるコミュニケーションは、この個々人がそれぞれに思い描いたモデルを相手に伝えて、議論を交わして改善したり相互に共有して理解を深めたりして、役割分担を決めて、お互いに抜かりなく協働するために行われることになります。

3.「思考せずに思慮深くあるコミュニケーション」はできるのでしょうか

 さて、当コラムのテーマである『思考せずに思慮深くある “ Be thoughtful without thinking ”』に話を戻しますが、そもそも、生成AIや自律型AIにモデリングはできるのでしょうか?

3.1. 現実的に可能な「思考せずに思慮深くあるコミュニケーション」は対症療法の範囲です

 創造的仕事は人間の仕事と言われていますが、 この領域にも技術革新は起きているでしょうし、起きている事象に対して、多くの選択肢の中から最適と推論される対症療法的な解決策を導き出す「思考せずに思慮深くあるコミュニケーション」は可能になるでしょう。

3.2. 「限界状況」において求められる思考

 しかし、哲学者のカール・ヤスパーが命名した『限界状況』、すなわち、追い詰められた極限の状況で、自ら責任を負わなければならない判断(解決策のモデリング)を迫られたらどうでしょうか。カール・ヤスパーによれば、「抽象的なことをいくら考えても難題を解決することはできない。私たちは実人生に即して考えるべきであり、最後には自らの存在をすべて背負って選択しなければならない。それが実存的存在なのだ」とあります(ベイクウェル 2016、#1 p.120)。

3.3. 「限界状態」に迫られた組織のコミュニケーション

 個々人が自立し自律して行動する組織においては、誰もが、任されている役割と職責に応じて、業績に責任を負っており、ステークホルダーに対しても責任を背負っています。この状況は、常に『限界状況』に置かれているとも言えますし、「実存的存在」であることが求められているとも言えます。

 本コラム「#302 どのようなコミュニケーションが創造意欲に燃える職場に変貌させるのか」において、筆者は『創造的意欲を掻き立てるコミュニケーションの要件』の一つとして「目的を掘り下げる」(自分たちが成し遂げようとしている夢の目的)と記しましたが、組織におけるコミュニケーションは実存的でなければなりません。

 自律型AIと交わす「思考せずに思慮深くあるコミュニケーション」に背負わせる意思決定は思いつきであってはなりません。最終的には、人間が自らの存在をすべて背負って選択する意思決定でなければなりません。

サステナブル・イノベーションズ株式会社 代表取締役社長 池邊純一

 

【参考文献】

  1. サラ・ベイクウェル、向井和美訳、『実存主義のカフェにて 自由と存在のアプリコットカクテルを』、紀伊国屋書店、2024.4.11(原著:2016)

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