#265 モデルベースのコミュニケーションで日本のプレゼンスを高めよう

 昨日、ある会合で「日本はモデリングができない」という議論をしました。真偽は別として、日本発のビジネスに関する方法論のモデルはトヨタ生産方式「ジャスト・イン・タイム」や「QC “Quality Control” 」等、高度経済成長を支えた「ものづくり」の時代に確立されたものばかりで、21世紀以降に世界標準になったものは思いつきません。 

何故、日本人はモデル化ができなくなったのでしょうか? それとも、単に、しなくなったのでしょうか?

 大量生産・大量販売・大量消費の時代は終わり、今や、得意技のものづくりからサービス産業中心の社会に変容してきている、すなわち、産業構造の変化が背景にあるとすることは容易です。しかし、それだけでしょうか?

 日本人は、ガラパゴス化とか茹で蛙現象とか揶揄されながらも、認知心理学の分野で言われている正常性バイアス、現状維持バイアスや現在バイアス、アインシュテルング効果(馴染みのある方法論に引きずられる)に深層にある心を支配されて、結果的にそれまでの成功体験に固執してしまっているのかも知れません。

 また、日本は同調圧力が強い社会だと言われていますが、そうしたバイアスによって形成された社会的風土が社会全体を覆い尽くして、新たなアイデア(方法論)を生み出して広げていこうという気風が芽生えないのかも知れません。

「隷従と排除」の論理

 筆者は、日本人の心(心的相互作用)には「隷従と排除」の論理が深く沁みついていると考えています。1970年代からTBSテレビで放映され高視聴率を獲得した「水戸黄門」シリーズは、そうした日本人の心をつかみ取った典型的な作品だと思います。いわゆる勧善懲悪ものですが、悪事を働く力を持った人たちが、お忍びの旅をしている黄門様を「町人風情が」(排除)としかりつけ、ひとたび、葵の御紋をかざされるやいなやひれ伏(隷従)して、最後は黄門様の高笑いで終わるという時代劇です。

 権威づけられたものになびくという心理は洋の東西を問わず、どの社会の人間にも共通していると思いますが、今や、GAFAMや米国発の方法論が世界を席捲している時代に、新たなビジネスモデルを考え付くこともできず、ましてや、独自に方法論を考えることなどということは恐れ多いことで、決して許されない思考停止状況なのかも知れません。

 これは、GAFAMや米国発の方法論に隷従し、独自のアイデア(方法論)を初手から排除するという論理であり、そした自縛的な心理作用が日本人に重くのしかかって、にっちもさっちもいかないという疎外された状態です。

勇気を持って、自らモデル化をしてみよう、モデルで議論を深めよう

 先の当コラム「#261 自分の意志で自らモデル化していますか? モデルのすり合わせこそがコミュニケーション」でも書きましたが、コミュニケーションの本質はモデルのすり合わせです。同調圧力に屈せず、勇気を持ってモデル化に挑戦し、臆せず、モデルをベースにした議論に挑んでいくことが必要です。

 「隷従と排除」の論理によってにっちもさっちもいかなくなった日本人が、再び、世界のなかで自立性を持っていくために、さらには、先進国の一員として新たな優位性を確立してプレゼンスを高めていくためにも、モデルベースのコミュニケーションは、なんとしてでもやっていかなければならないことなのです。

サステナブル・イノベーションズ株式会社 代表取締役社長 池邊純一

 

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