最近、日本では、ニューノーマル(新常態)という言葉をよく聞きますが、元々は、リーマンショックの時にも言われていたことです。しかし、リーマンショック後に「ニューノーマル」を提唱したモハメド・A・エラリアン氏(ペンシルベニア大学ウォトン・スクール教授)は『2008年グローバル金融危機に続くリセッションは低成長、(量的緩和などを通じた)金融の人為的安定、格差の拡大を特徴とする「ニューノーマル」を作りだし、その後の10年で中間層が空洞化し政治的な怒りと反エリート感情が高まりをみせていった。』(*1) と主張しています。また、米メディアで ”the new,new normal” と表現し、『今回のコロナ・ショックでは、各国の政府がただ世界的な不況との戦いに打ち勝つというだけでなく、持続可能で、経済成長の恩恵が広く行き渡る「包摂的な成長」(inclusive growth)を実現させることに焦点をあてないと、私たちはさらに悪い状況に陥ってしまう危険性をはらんでいます。』『このショックに直面する前まで、政府や企業は費用対効果と効率性を追い求めてきたが、これからは「リスク回避」と、いわゆる「レジリエンス」(困難な状況に直面したときに発揮できる強靱さや回復力)の管理に重きをおくような戦略に転換せざるを得ないでしょう。そうなると、このコロナ・ショックから回復したときに私たちが目にする世界経済の光景は、まったく違ったものになるはずです。それが、「ニューノーマル2.0」と呼ぶ世界です。』(*2) と語っています。
リーマンショック後のニューノーマルでは、結局のところ、金融機関の破綻を防ぐために公費が投入されて金融市場にお金がたくさん供給されることにより、経済格差が拡大するばかりの社会になってしまいました。今回のパンデミックにおいても、各国の中央銀行は、企業の資金繰りを救済するために銀行に対して無利子での融資を促すように様々な形で支援し、また、国民の生活を支援するために国が発行する国債を購入しています。人類の歴史においてパンデミックは社会の変容を引き起こすきっかけとなってきました。今回のパンデミックでは、真のニューノーマル(社会システムも経済発展の理論もその全てが変容する)を引き起こすことになるのか、それとも、リーマンショックの時のようなニューノーマルに終わってしまうのか、それは、今、パンデミックに直面している私達の意識に関わっているのだと思われます。
私個人としては、今回のパンデミックによって社会変容が引き起こされてくると感じています。そこで、ニューノーマル2.0ではなく、『社会変容2.0 または Social Transformation2.0(以下SX2.0と略す)』と命名したいと考えています。なお、Social Transformation2.0 の 2.0、ハメド・エラリアン氏の主張する 2.0 とは異なり、260年前のイギリスの産業革命に端を発する近代化が SX1.0、今後の社会変容が SX2.0となります。第四次産業革命論の第二次産業革命が SX1.1、第三次が SX1.2、第四次が SX1.3 に相当します。SX1.3 (第四次産業革)があったからこそ、その延長上に今回の SX2.0 が起こり得ると考えています。
今回のパンデミックの終息に至るまでには、①集団免疫を獲得する、②ワクチンを開発する、③ウイルス自体が弱毒化し感染力も低下する、という3つのシナリオが描かれますが、いずれにしても、終息までには長い時間がかかると考えられています。そこで、経済再開に向けて、感染拡大の最初の頃には、巷では、しきりにポストコロナやアフターコロナという言葉が使われていましたが、ウイルスの正体が明らかになるにつれ、ウイズコロナという言葉が使われるようになってきました。
このパンデミックを経験したことにより、人々の思考や行動様式は大きく変容すると考えられています。それが、ニューノーマル(新常態、日本政府の示している新しい行動様式ではない)と言われているものです。しかし、(1) パンデミックが終息する(ポストコロナ、アフターコロナ)という前提に立つのか、ウイズコロナであるのか、(2) 短期(1年程度)で終息するのか複数年に跨いで影響を受けるのか(すなわち、終息後は全てが元どおりの状態に戻り得るのか)、(3) それとも全ての人類が経験した苦悩であり、社会システムも経済発展の理論もその全てが変容してしまうのか、によってその意味は異なってきます。今、世界の人々の間で言われているのは、(3)の意味で使われているものと思われます。
それでは、Social Transformation2.0 とはどのようなもの(こと)なのでしょうか。それを一言でいえば、人々は、場所にも、時間にも拘束されずに生きていけるということです。近代化以前の社会では人々は土地(生まれた土地、住みついた町)にしがみついて、そこで一日を過ごして生きていました。近代化以降の社会では人々は大量生産・大量消費の暮らしを実現するために、朝から職場に出かけて仕事(作業)をしなければなりませんでした。夜の帰り道、あるいは、週末になって、生活必需品を買うために商店やスーパー等に出かけなければなりませんでした。Social Transformation2.0 の社会では、全てがオンラインで行うことができ、それが生活の普通の出来事となります。わざわざ会社に出社する必要もなく、買い物にも出かける必要もなくなります。逆に、親しい人や同僚と意思疎通を図るために出かけたり(対面して話すこと)、気晴らしにショッピングにでかけたりすることが特別の出来事になります。
都会に住もうが、野山に囲まれた田舎に住もうが、生活をする上で必要なサービスはオンラインにより同等に受けることができます。通勤のための大量輸送の交通手段は必要がなくなります。都会に固定費の高いオフィスを構える必要もなく、狭いのに費用のかかる住宅に住む必要もありません。社会全体として、企業経営や個人の暮らしの中における固定費に割合が減少し流動費の比率が高まると、日銭のためにあくせく働く必要もなくなります。人々の活動の選択肢は増大し、より創造的な活動、社会に貢献できる活動、文化的活動に時間や労力を割り当てることができるようになります(そうした活動自体もオンライン化していきます)。
エッセンシャルワークの技術革新も進み、バックグラウンドでの仕事は自動化と効率化が進められていきます。現場作業の負荷もロボットの導入などで軽減されることになりますが、最終的には人間のその場での臨機応変な対応力が必要になります。エッセンシャルワーカーには現場の知恵が蓄えられ、今以上に貴重なものとなっていきます。
ハメド・エラリアン氏が『世界的な不況との戦いに打ち勝つというだけでなく、持続可能で、経済成長の恩恵が広く行き渡る「包摂的な成長」(inclusive growth)を実現させることに焦点をあてないと、私たちはさらに悪い状況に陥ってしまう危険性をはらんでいる』と主張している様に、場所にも、時間にも拘束されずに生きていける人々にも、エッセンシャルワーカーに従事する人々にも、Social Transformation2.0 の社会は、持続可能で、経済成長の恩恵が広く行き渡る「包摂的な成長」(inclusive growth)の社会でなければなりません。
サステナブル・イノベーションズ株式会社 代表取締役社長 池邊純一
【参考文献】
- モハメド・A・エラリアン, 『コロナウイルス・リセッション 経済は地図のない海域へ』, フォーリン・アフェアーズ・リポート 2020 No.4, フォーリン・アフェアーズ・ジャパン
- モハメド・A・エラリアン, 『コロナ後は「ニューノーマル2.0」 世界経済の景色は一変する』, The Asahi Shimbun Globe+ , 2020.05.29, URL: https://globe.asahi.com/article/13395103