ものの一面だけを捉えていると、時として、とんでもない災禍に見舞われることがあります。リスク管理とは、まさに、そうした災禍を予測して、事前に回避するなり、他に移転するなり、あるいは、損害を軽減したり、拡大阻止したり、再発防止施策を講じたり、といった対応策を考えておくことに他なりません。
日本では、少子超高齢社会、人口減少社会となり、生産年齢人口の割合が低下して増大する社会保障費を支えきれず、地方にしても国にしても、やがて財政破綻に追い込まれるだろうと予測されてきました。そして、そうしたに想定し得るリスクに対する施策は講じられてきましたが、茫漠としたリスク(遠い昔や遠い国の出来事としては起きていたけど我が身に照らして差し迫った感覚のない思えるリスク)である感染症対策への予算は削減されてきました。そして、新型コロナウイルスの感染拡大(パンデミック)に際して、検査体制、医療体制は脆弱であり対策が後手に回ってしまいました。その結果、多くの方の貴重な命や健康が奪われてしまいました。
医療機器や医療物資にしても同様です。その多くの生産は労働コストの安い中国に偏っていました。新型コロナウイルスは中国を震源として発生し、武漢市はロックダウンされ、中国の多くの都市で人の移動は禁止されて生産活動が停止しました。国民が使用するマスクやアルコール消毒液だけでなく、医療用ガウン等も不足して、医療機関自らが手作業で作成するなどといった事態も発生しました。
経済合理性ばかりを追い求めることの危うさが、この新型コロナウイルスの感染拡大(パンデミック)で露呈したばかりではありません。国民の命や健康に関わるものの調達(サプライチェーン)を、調達コストの低減によってのみ構築してきたことにより、パンデミック禍の被害は大きく増幅されました。
街中の経済は日銭を回すことによって成り立っています。大企業にしても内部留保でお金を貯め込んできたことが問題視されてきましたが、それでも、需要の蒸発が長引けば持ちこたえられません。小さな政府のもとで、市場原理、競争原理を絶対視する新自由主義は、世界中でもてはやされた経済思想ですが、結局は、ケインズ主義に立ち戻って、国による救済を求めるしかありませんでした。
市場原理や競争原理といった経済合理性、低コスト化は、近代化(大規模資本による産業化)の思想であり、20世紀に先鋭化したものです。しかし、グローバル化した社会においては、パンデミックに限らず、様々な出来事の影響が世界中を駆け巡り、駆け巡ることによって増幅されていきます。21世紀のこれからは、様々なリスクを想定した社会構造や経済構造を構築しなければなりません。人権をおざなりにして社会保障政策を考えることはできません。コストが高くついても内製の比率を確保しておくことも必要ですが、それは、自給率の低い食料問題にも言えることです。コストの安い中国に頼った脆弱なサプライチェーンを再構築しなければなりません。
「社会全体として持続可能な発展が可能な冗長性のある最適化技術」とは、個々のビジネスの経済合理性だけではなく、そのビジネスに関わる社会コストも含めた社会全体としての経済性を加味した経済合理性、冗長ではあるけれどもリスクを考慮した経済合理性、人権や自然環境の保護を考慮した、社会全体としての最適化を目指す技術のことです。そしてそれは、短期的な財務指標では表すことのできない、将来の社会にあっても持続可能な発展を見通せるものであるという視点によって評価されなければなりません。
サステナブル・イノベーションズ株式会社 代表取締役社長 池邊純一