「ストーリー」に訴求するということは、社会の一人ひとりの心情や感性に触れていくことにもつながりますが、それは個々に多様に、しかも、固定的に目に見えて定まったものでなく、時として移ろい、状況によって変化していく“こと” を考えていかなければなりません。しかも、サステナブル を実現していくためには、「目の前の “こと” 」「現に起きていること」を超えて、『その先』にある背景や状況、周囲の人たちと社会全体の人たちとの関わり、現在だけでなく将来にわたって見透した視点で、ものごとの実現を考えていかなければならないことを意味します。
以下に “こと” とは何かを考えるために、“こと” の構図を示すとともに、理解の助けとなるように解説を加えていくことにします。
(1) “こと” から捉えたストーリーは、感情の動き、観る観点、情景、体感と認知の全体像の中から醸し出される。
- 感情の動きは、心と体で受けとめたことでわき出ずる感覚であり、後悔・自責、想い・理想・夢・誇りなどがそれに相当する。ストーリーは、こうした感情の動きを描写した筋書きである。
- 観ずるとは、心の眼を通して観る “こと” である。広辞苑第六版によると、『観ずる』とは「よく観察し思い巡らせて正しく知る」ことである。“こと” の構図で描くストーリーでは、自分の眼(一人称)で観ずること、相手の眼(二人称)で観ずることであり、過去の自分と将来の自分、過去の相手と将来の相手、そして自分と相手のその関係、更には、その関係の微妙な変化を描写した筋書きである。
- 視座するとは、目で見、思い描く情景の “こと” である。 広辞苑第六版によると、『視座』とは「物事を見る立場」であり、『視座する』とは立ち位置からものごとを位置づけて見ることである。“こと” の構図で描くストーリーでは、客体的(三人称)に捉えた描写である。それは現場での出来事を描いた筋書きであったり、日常の出来事の描写や晴れ舞台での出来事の描写であったりする。
- 体感/認知とは、体で感じる“こと”、それを頭で認知する“こと”である。体で感じる“こと”は五感や第六感(勘)により直感的である。認知は、感じたことが何であるか、(広辞苑第六版によれば)感性に頼らずに推理・思考などに基づいて事象の高次の性質を知る過程のことである。“こと”の構図で描くストーリーは、実体験の描写であったり、学習された形式知/経験知/体感した記憶/追体験/共感した記憶の借用であったりする。また、論理思考の過程や結果だったり、洞察/仮説(アブダクション)による新たな発想、自己超越知(*)の描写だったりする。
(2) 時間という概念も、“こと”の構図で描くストーリーでは、過去から現在そして未来へ流れるだけでなく、時を遡ることも、時を超えることもある。過去の出来事は「非因果律と因果律」が混合し、結果に基づいて創造られた(想像された)原因が描かれることもある(ヒストリーとして創られる)。今の出来事も忽然/偶有/偶然、必然/蓋然の中で移ろい、未来も予定調和/事前合理性のある出来事として、または、人の意思により発現する未来(*)として描かれる。
(3) “こと” の構図において、現実は主観的な認識であり事実ではないし、客観的な事実も観点を変えると真実ではなくなる。真実も視点を変えると真実でなくなる。