イノベーションは、どこにも存在しない新しいアイデアが降って湧いてきて起きるものではなく、事業者の視点から見れば、既存の知識(技術や製品、ビジネスモデル)を結合(新結合)させて実現する非連続な創造的破壊を伴う経済活動と考えられています。しかし、特に、ディスラプション(ディスラプティブ・イノベーション)は、社会変革を伴う社会現象でもあります。
そこでここでは、ディスラプションはどのような思考方法によって興り得るのか、社会変革はどのように可能であるのか、「創造的思考の思考モデル」の仮説を立てて深掘りすることにします。
新たな意味形成の思考モデル
まず、既存の知識(技術や製品、ビジネスモデル)を結合(新結合)させる思考モデルとはどのようなものであるかということについて考えていきます。
現在の社会には、様々なビジネス分野における既存の知識が存在し、その知識に依拠して意味が形成されています(ある領域で形成されている意味)。そして、それらを具現化したものが、“for instance” であり、技術や製品、ビジネスモデルとなります。これら既存の知識やそれを具現化したものの間には、ビジネス分野を超えた、あるいは、ビジネス分野の中での組み合わせ可能な弱い相関関係を見いだすことができ、もしくは、無関係と思われるのものが存在します。新結合は、これら相関関係(若しくは、無関係と思われるもの)の間にある関係を見いだして、新たな価値を創造することにほかなりません。これが、新たに創造される意味の形成ということになります。
既存の知識やそれを具現化したものは無数にあり、それをランダムに組み合わせても、新たな価値を創造することにはつながりません。ディスラプションにつながる組み合わせは、事業者の意思(様々な思想(状況の認識の基準))により生み出されるもの(あるいは、偶然起きた事象の中から、目的をもって探索されて見つけだされるもの)であり、そこには、既存の概念を転回して形成される新たな概念が必要となります。「概念」(設計思想)は、状況によって揺れ動いたり、時間経過に伴って変化していくものではなく、「普遍的な思考の基準」によって形成されるものであり、確固とした哲学が必要になります。
社会変革は偶有的でもあり、「普遍的な思考の基準」そのものを創造していくには、ずっと先を見通して、社会や人のあり様の中の根源にあるものを見抜く能力を持った、すなわち、哲学を思考できる才覚をもった人の存在が必要になります。哲学を持った人が新たな市場を創造しうるのは、そうした理由があるのです。
意味の構図
知識やそれを具現化したものに宿る「意味」には「ことばを通して解釈される意味」ばかりでなく、技術や製品、ビジネスモデルを通して醸し出される「心の中で形成される意味」が存在します。ここではこの「心の中で形成される意味」について考えていくことにします。
定説とされる知識も、科学技術の進歩により前提が覆され見直しが迫られることもあります。社会の中で常識と思われていたものも、まさに、コペルニクス的転回によって覆されることもあります。流行だった思想もやがては廃れていきます。
「心の中で形成される意味」は、固定的に目に見えて定まったものでなく、時として移ろい、状況によって変化していくものです。「目の前のこと 」「現に起きていること」を超えて、『その先』にある背景や状況、周囲の人たちと社会全体の人たちとの関わり、現在だけでなく将来にわたって見透した視点で、ものごとの実現を捉えて形成されていきます。
(1) 「心の中で形成される意味」は、感情の動き、観る観点、情景、体感と認知の全体像の中から醸し出される。
- 感情の動きは、心と体で受けとめたことでわき出ずる感覚であり、後悔・自責、想い・理想・夢・誇りなどがそれに相当する。「心の中で形成される意味」は、こうした感情の動きを描写した筋書きである。
- 観ずるとは、心の眼を通して観ることである。広辞苑第六版によると、『観ずる』とは「よく観察し思い巡らせて正しく知る」ことである。「心の中で形成される意味」は、自分の眼(一人称)で観ずること、相手の眼(二人称)で観ずることであり、過去の自分と将来の自分、過去の相手と将来の相手、そして自分と相手のその関係、更には、その関係の微妙な変化の描写(象徴やストーリー)である。
- 視座するとは、目で見る、思い描く “情景” である。 広辞苑第六版によると、『視座』とは「物事を見る立場」であり、『視座する』とは立ち位置からものごとを位置づけて見ることである。「心の中で形成される意味」は、描き見る立ち位置、すなわち、主観的(一人称)、または、客観的(三人称)に捉えた情景(対象)の描写(象徴やストーリー)である。それは現場での情景を描いた描写であったり、日常の情景の描写や晴れ舞台での情景を描いた描写であったりする。
- 体感/認知とは、体で感じたことを頭で認知することである。体で感じることは五感や第六感(勘)により直感的である。認知は、感じたことが何であるか、(広辞苑第六版によれば)感性に頼らずに推理・思考などに基づいて事象の高次の性質を知る過程のことである。「心の中で形成される意味」は、実空間で体感した実体験/追体験/共感による記憶、言説によって認知された社会の中で共通に認識されている意味や形式知、経験知や先験的知恵(自己超越知)が、人の心の中で意識されることによって(あるいは無意識に)触発された論理思考(演繹的思考や帰納的思考)の過程や結果を通し、また、洞察や仮説(アブダクション)によって創出された新たな発想を通して、解釈され、学習(あるいは、学習棄却)することによって理解されて形成される描写(象徴やストーリー)である。
- ここで「描写(象徴やストーリー)」とは、ものごとを象徴するもので例える、絵画や図形によって象徴的に表現する、ある言葉や言説によって象徴して表現する、象徴的な出来事をストーリーとして例える、といったことが想定される。
(2) 時間という概念も、「心の中で形成される意味」は、過去から現在そして未来へ流れるだけでなく、時を遡ることも、時を超えることもある。過去の出来事は「非因果律と因果律」が混合し、結果に基づいて創造られた(想像された)原因が描かれることもある(ヒストリーとして創られる)。今の出来事も忽然/偶有/偶然、必然/蓋然の中で移ろい、未来も予定調和/事前合理性のある出来事として、または、人の意思により発現する未来 (*)として描かれる。
(3) 「心の中で形成される意味」において、現実は主観的な認識であり事実ではないし、客観的な事実も観点を変えると真実ではなくなる。真実も視点を変えると真実でなくなる。
(*) C・オットー・シャーマー, 「U理論 過去や偏見にとらわれず、本当に必要な『変化』を生み出す技術」, 英治出版、2010. より引用。