「社会的課題を行政、地域社会、企業や団体組織、個人が協力して自助力で解決していく社会となる」の版間の差分
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2018年6月29日 (金) 04:45時点における最新版
「自己責任」という言葉がある。自分で選択肢を選ぶことができるなら「自己責任」という言葉を当てはめることができる。しかし、弱い立場にある人が、社会構造等の問題によって否が応でも(いやがおうでも)、辛い状況に置かれているとしたら「自己責任」という言葉を使うのは相応しくない。それは、社会が手を差し伸べて解決しなければならない問題である。 「公助」「共助」「自助」という言葉がある。行政によるのが「公助」、町内会等の地域コミュニティやご近所同士での助け合いが「共助」、自分の力で対策し解決するのが「自助」である。行政はどうしても上から目線となり公益と規則に縛られる。地域の目線で問題を捉えることができる。企業や団体組織は事業を通して社会の発展に貢献できる。行政が担うこととできること、地域社会が担うこととできること、企業や団体組織が担うこととできること、個人の力で何とかできることが夫々にあり、役割分担をすることで、多くの社会的課題を解決することが可能になる。 日本には「お上」という考え方の風土が根強い。しかし、社会的課題を解決していくためには「お上」に頼るのではなく、行政、地域社会、企業や団体組織、個人が個々に社会的存在として自立して、様々な課題解決に立ち向かわなければならない。みんなが好き勝手なことをしても良いという訳ではないが、国が決めたからとか、行政がこうだからと言っていては地域の問題は解決されない。逆に、地域の問題を解決するためには法律や条例に準拠するのが合理的な場合もある。大事なことは、公益に資するルールに基づいて、自分達の問題は自分達で決めて行動できることである。それが自助力であり、個人ができる範囲を超えたところに協力しあって取り組んでいくのが共助力である。そこに公共の手助けが必要なら共助力を活かしていくことになる。 日本には、もうひとつ、「共生」という素晴らしい言葉がある。「新・共生の思想」(黒川紀章著、徳間書店、1996)という書籍には、故黒川紀章氏が造語した言葉と記されているが、日本社会には「自己責任」よりも「共生」の思想が根付いている。行政、地域社会、企業や団体組織、個人が共生し協力し合うことで社会的課題を解決していくことができるとすれば、それは、グローバル社会に訴求することのできる日本の魅力であり、日本の社会が築き上げてきた強みとして世界の範となる日本人発のモデルを示すことにもなる。
【認識すべき課題】 (時代背景、社会問題と背景要因)
- 社会的課題の解決は、一企業が取り組むのではなく、行政が取り組むべきと考えられてきた。
- 社会的課題の背景には、社会構造的問題や複雑に絡み合った様々な社会問題があり、個々に解決を図ろうとしても、抜本的な解決には至らない。そしてそこには、国や地方の行政として取り組むもの、地域社会が自ら取り組んでいくもの、企業が事業を通して取り組んでいくべきもの、非営利団体などが取り組んでいくべきもの、個人が自ら変えて取り組んでいかなければならないものがある。
【未来における社会的価値の創造】
- 社会的課題の解決には、それに関わる人達の主体的な参加が求められる。
- 夫々の人達の役割には、夫々の立場に応じた限界もある。行政は個人の問題に分け入ることはできないし、個々人の力だけでは社会全体としての問題に立ち向かうことはできない。
- 政治や行政による公助、地域社会や事業を通しての共助、個人の主体的な活動による自助の分担を決めて取り組んでいかなければならない。
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