今。日本では少子高齢化が社会問題として、様々な分野で議論されている。
確かに、少子高齢化の結果、人口減少社会となり経済成長が難しくなる、生産年齢人口の割合が低下して国民皆保険制度や年金制度が立ち行かなくなる、社会保障費の負担が重荷となりプライマリバランスが悪化していくといった問題を引き起こしていくと予想される。地域社会においても、過疎化が深刻化し都会においても限界集落化が進んできている、買い物難民や医療難民が増えていく、シャッター通りの問題のみならず空き家が増えてゴーストタウン化していくといった問題をも生み出していく。産業においても、特に、中小零細企業において事業承継ができず廃業に追い込まれる事業者が増えていくといった問題を引き起こしていく。
これらの問題も深刻であるが、私達一人ひとりに差し迫っている問題は、少子高齢化の次の段階にある孤独化の問題である。これは誰の身にも起こりうる切実な問題であり、マクロ経済的な他人事の問題ではない。政治家の掲げる政策や行政の立場からすれば「国民の一人ひとりに寄り添って」という言葉にはなるが、その根拠となる論理思考はマクロ経済的な視点に立たざるを得ない。極端に言えば、政治や行政が私個人に差し迫っている孤独化の不安を鑑みてくれるはずはない。
政治が金融資本主義に頼らざるを得ない状況にあって、経済格差問題はどんどん深刻化していく。働き方開改革、教育改革、様々な規制緩和、新産業育成政策等のどれをとっても「未来社会の発展をどの様に描くか」という視点からの議論は見えてこない。
結局、国民の誰にとっても差し迫ってきている孤独化の問題は、国民自らの力で解決していかなければならない。そのための方法論は、日本社会の独自の風土に根差した問題として、欧米の既成の知識の学習ではなく、日本社会全体が独自に学習していくことによって編み出していくしかない。そしてそこにこそ、日本の独自性も醸成されてくる。
サステナブル・イノベーションズ株式会社 代表取締役社長 池邊純一