1.カスタマー・インサイトとは
「インサイト」を日本語で表現すると「洞察」で「鋭い観察力で物事を見抜くこと、目の前の事態に対して全体を俯瞰し、深層にある原因や意味を理解し、結果を見通すこと」といった意味になります。従って「カスタマー・インサイト」は、顧客が自覚している顕在ニーズではなく、その背景にある自覚していない潜在ニーズの深層にある「原因となっている要因や意味を理解して、本当のところ、何を実現したいのかを見通すこと」といった意味合いになります。「人を動かす隠れた心理」とも定義されています (大松、波田 2017 #1 p.3 )。それは、ニーズの行方に決定的な影響を及ぼすと考えられます。
なお、カスタマー・インサイトには、下記の2つの意味があります。
- 顧客のインサイト 顧客の心の内にあるインサイト(隠された心理)
- 顧客についてのインサイト 顧客を理解するためのインサイト(見通すこと)… 本コラムではコンシューマー・インサイトとして区別して記述します
1.1. 顕在ニーズとそこに潜む潜在ニーズに影響を及ぼすカスタマー・インサイト
例えば、顧客が電球を買いに来た時、直接的には、居間の電球が切れたから買いに来たのかも知れません。あるいは、電気料金が高騰する折、長期的なコスパを考えてLEDライトに付け替えようと考えたのかも知れません。これらは顕在ニーズです。地球温暖化への不安が潜在意識に影響して、消費電力を抑えてCO2排出量を削減しようという購買行動の変容は潜在ニーズと言えるでしょう。
伝統的な顧客データ分析手法にRFM分析(Recency(最終購入日)、Frequency(購入頻度)、Monetary(購入金額))やバスケット分析(バスケットに入れた物の併買とペルソナ情報を合わせた相関分析)があります。「この商品を買った人は、こんな商品も買っています」の有名なフレーズの協調フィルタリングという手法もあります。カラーパレットや地域風土(文化、伝統、習慣)から需要の傾向を捉える方法もあります。これらは、顕在ニーズ(既に起こったこと)に潜む潜在ニーズからカスタマー・インサイトを推測するアルゴリズムです。本コラムでは、この一次的に捉えることのできるカスタマー・インサイトを「TypeⅠ」とします。
1.2. ナラティブとアテンションに誘発されるカスタマー・インサイト
人には夫々に、生き甲斐などの価値観から紡ぎ出され、かく生きたいという自己の行動に影響を及ぼす規範があります(正のナラティブ)。その一方で正常性バイアスや認知的不協和によって歪められたりすることもあります(負のナラティブ)。これらは、社会に溢れる情報から注意(アテンション)を払うべき視点にも影響を及ぼします。アテンションは、心理的影響、すなわち、確証バイアス、アンカリング、アインシュテルング効果によって狭められることもあります。逆に、アテンションがナラティブに影響を及ぼすこともあります。本コラムでは、この二次的な要因まで深めなければ捉えることのできないカスタマー・インサイトを「TypeⅡ」とします。
[長期的コスパ-消費電力の抑制-CO2排出量の削減-LED電球購入]は政府やメーカーなどから発信される情報によって形成されたプロダクトアウトのシナリオです。居間の電球が切れたから買いに来たとしても(顕在ニーズ)、ナラティブとアテンションの相互作用によって影響を受けて誘発されたカスタマー・インサイトを捉えて、プロダクトアウトのシナリオに誘導して購買行動を変容させるには、カスタマーのナラティブとアテンションに影響を及ぼす戦略を構想する必要があります。
「ナラティブ」は「物語」と訳されますが、ストーリー(話の内容)やシナリオ(話の内容の描写)とも異なり、いわゆる「語り(ナレーション)」に近い概念です。ナラティブ・セラピーでは相談者が自身のことを語った語りを通して悩みを解決していくセラピーと言われています。
2.アイデンティティの時代に求められるコンシューマー・インサイト
2.1. 高度経済成長期のコンシューマー・インサイト
高度経済成長期は「規模の経済」や「範囲の経済」の経済モデルの時代で「画一化された製品の大量生産-大量販売-大量消費ー大量廃棄」を実現すること成功するビジネスモデルだったと言えます。当初は、プロダクトアウトで画一化された製品仕様(シーズ)によって消費者ニーズを生み出し、市場を創造することも可能でした。しかし、社会が成熟化し、製品も市場に溢れ、企業間の競争も激しくなっると、新たな消費者ニーズを見つけて販路を開拓していく必要があります。そうした状況にあっても「画一化された製品の大量生産-大量販売-大量消費ー大量廃棄」のビジネスモデルを維持し続けるには、ステレオタイプ化して捉えてきた消費者をより精緻に理解しなければならなくなりました。
この時代のコンシューマー・インサイトは、消費者に自社製品を少しでも多く買ってもらうため(売り込むため)のマーケティング戦略を描くことが目的でした。必然的に TypeⅠのカスタマー・インサイトの発見に関心が集まっていました。
2.2. アイデンティティの時代のコンシューマー・インサイト
個々人も、それまでは人と同じものを持ちたいという欲求が強く、ステレオタイプに自分自身を捉えていましたが、社会が成熟化してくると、自分自身のアイデンティティに目を向けるようになります。自分自身のアイデンティティを認識するということはナラティブであることです。周囲の人たちにも自身のアイデンティティを受け容れてもらうためには、周囲の人たちのアイデンティティを受け容れなければなりません。社会に溢れる情報から何に注意(アテンション)を払うべきかということに敏感になります。
これからの時代のコンシューマー・インサイトは、個々人のアイデンティティを理解し、個々人のナラティブとアテンションに訴求するマーケティング戦略を描くことが目的となります。必然的に TypeⅡのカスタマー・インサイトであることが求められよようになってきました。
3.ナラティブとアテンションに誘発されるカスタマー・インサイトをリードするコンシューマー・インサイト
かつて、マーケティング用語に「個客」「1 to 1 マーケティング」という言葉がありました。現在では「N1 分析」という用語が使われています。何れにしても、アイデンティティの時代のコンシューマー・インサイトを実現するためには顧客の一人ひとりのカスタマー・インサイトに焦点を当てなければなりません。
下図は、個々人のカスタマー・インサイトを左右する要因を構造化して示したものです。これらの要因は、画一的でもなく、一貫性のあるものでもなく、合理性のあるものでもなく、むしろ、感情的・情緒的な側面もあり、外部環境の変化、商品を提供する側からの働きかけ(サービスやプロモーション)によっても、複雑に絡み合いながら移ろい変わっていくものです。
3.1. コンシューマー・インサイトを得るためのデータドリブン・アプローチ
個々の顧客のコンシューマ・インサイトを得るには膨大な労力とコストがかかりますので、優良顧客に絞って対話を重ねていく必要があります。そして事例を積み重ねて帰納法的に「こういう個客はこういうカスタマー・インサイトがある」と推論することになります。そして、そこから潜在ニーズ、提案価値を見定めていくことになります。
最近では、生成AIやAIエージェント(自律型AI)が普及してきましたので、コンシューマー・インサイトを推論してレコメンデーションを得ることは容易になってきました。
サステナブル・イノベーションズ株式会社 代表取締役社長 池邊純一
【参考文献】
- 大松孝弘,波田浩之、『「欲しい」の本質 人を動かす隠れた心理「インサイト」の見つけ方』、宣伝会議、2017.12.1