「変化に対応したマネジメントをしているか」の版間の差分
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2015年11月21日 (土) 03:01時点における版
ここでは、変化に対応するマネジメントについて掘り下げ、変動要因として捉えていく。
目次
変化に対応するマネジメントに特徴づけられる変動要因とその論点
変化に対応するマネジメントについて掘り下げる上で、共通に認識しておかなければならない論点がある。
- 社会、市場は、常に急速に多様に、変化している。どの企業も、生き残りをかけて少しでも早く、少しでも多くの知見を獲得し、他社との差別化を図って優位性を確保しようとしている。
- ビジネス環境の変化に対して、今のままでも何とかなるだろうと何ら手を打たないまま放置してしまうと、やがては、抑制が効かないほどに大きな問題となって襲いかかってくる。
また、変化を捉えて率先垂範して行動する組織文化を阻害する要因があるとして、その背景には以下の理由が潜んでいると考えられる。
- [出る杭は打たれる]
- “差し出がましいことをすると、人から非難され、恨みを買ってしまうと思えば、何もしない方がましである。
- [火中の栗を拾わない]
- 自身の立場や利害損得がかかっていて、何もしなくても今のままが得なら何もしない。
- [茹で蛙の法則]
- 例え重大な変化であっても、変化が緩やかなうちは、安穏と過ごしていたい。
もし、変化に対応するマネジメントになっていないとすれば、それはどういうことか
組織の利害でなすべきことを考える
- “組織の利害”とは
- “組織の利害”には以下の3種類がある。
- 社会や株主、市場や顧客、競合他社といった社外との軋轢や競争に対する企業全体として守ろうとする“組織の利害”
- 部門間の軋轢に対する部門として守ろうとする“組織の利害”
- 社内の既得権益を持つあるポストの個人を頂点とした人達がが守ろうとする“組織の利害”
- “組織の利害でなすべきことを考える” の論点(捉え方の軸と筋道)
- “組織の利害でなすべきことを考える”として注意しなければならないことは、部門としての“組織の利害”と既得権益を持つあるポストの個人を頂点とした“組織の利害”である。
- この場合、企業全体としての利益が損なわれる危険性がある。ひいては、ひいては、競争優位性を築くことができず経営が危うくなる。
- “組織の利害でなすべきことを考える”理由
- 人は利害を共にする者同志が結びついてグループ(即ち、派閥)を作って行動するものである。そして、一旦、グループを形成すると、そのグループとしての“組織の利害”で行動し始める。
- この場合にも、“火中の栗を拾わない”、“出る杭は打たれる” でいることが、安定したグループの存続に役立つ様に思える様になる。
- 社会、市場、顧客の視点で何が必要かあるべきことを考える
- “組織の利害でなすべきことを考える”という経営課題がある。その背景には、社会、市場の変化の視点でものごと考えるよりも、“既存の事業”“組織の発想”で考えてしまうという問題がある。
- これからは、“組織が自律して”課題を解決し、組織独自の価値を創造していくことが求められる時代である。その実現のためには、組織の利害ではなく、社会、市場、顧客の視点で何をしたら良いか、あるべきことを考えなければならない。
ネゴで動く組織である
- “ネゴ”とは
- “ネゴ”(“negotiation”:交渉。折衝。談判。商議。広辞苑第六版)
- 組織内でオープンに議論して決めるのではなく、利害の一致する関係者の間だけで事前にものごとを決めておいて、あるいは、権限をもつ人の承諾を得ておいて、それから皆の合意を取る仕事の進め方である。
- 利害の一致する人達にとって都合の良い結果を短時間に決めることができるが、当然のことながら、そうした人達の考え方に偏った意見でものごとが動かされてしまう。
- “ネゴで動く組織”においては、いわゆる、結論ありきの議論をするための、議論したという事実を残す、反対者の“ガス抜き”をするだけの議論がなされることになる。
- “ネゴで動く組織である” の論点(捉え方の軸と筋道)
- ビジネス環境の変化に対して“ネゴで動く組織である”と、やがては大きな変化の波に乗り遅れてしまい、競争優位性を失ってしまう。ひいては、企業の存続を危うくする。
- “ネゴで動く組織である”理由
- 組織にあるパワーストラクチャを動かすという論理が常習化することで“ネゴで動く組織である”になることは屡々生じる。
- 誰しも、“火中の栗を拾わない”、“出る杭は打たれる” でいることが、安定した生き方の様に思える。だから、“変化”に対しても“ネゴで動く”ことで安心につながる。
- 機動的でオープンな意思決定プロセスを確立する
- “ネゴで動く組織である”という経営課題がある。その背景には、“いちいち誰かに気を遣って、お伺いを立てなければならない”という意思決定のプロセスに関わる問題もあるが、その本質は、“非公式の意思決定者がいる”“非公式の意思決定者によるダブルバインドが起きている”という組織構造の問題に端を発している。
- これからは、“組織が自律して”課題を解決し、組織独自の価値を創造していくことが求められる時代である。その実現のためには、“何するにも、いちいち誰かにお伺いを立てる必要がなく、周囲も横やりを入れない”オープンな組織構造、組織行動ができるようにしなければならない。
その場凌ぎの計画になってしまう
- “凌ぐ”とは
- “凌ぐ”(物事をおのれの下に押しふせる意。障害・困難などと闘って、それをのりこえる。また、それを堪え忍ぶ。我慢する。広辞苑第六版)
- “その場凌ぎの計画”とは、“その場”を凌ぐための計画であり、大所高所から捉えた計画になっていないことである。
- “その場凌ぎの計画になってしまう” の論点(捉え方の軸と筋道)
- ビジネス環境の変化に対して“その場凌ぎの計画”で済ませていると、やがては大きな変化の波に乗り遅れてしまい、競争優位性を失ってしまう。ひいては、企業の存続を危うくする。
- “その場凌ぎの計画になってしまう”理由
- 経営資源が足りなくて“その場凌ぎの計画になってしまう”ことは屡々生じる。
- 誰しも、“火中の栗を拾わない”、“出る杭は打たれる” でいることが、安定した生き方の様に思える。だから、“変化”に対して“その場凌ぎの計画になってしまう”ことになる。
- 社会、市場、顧客の目線で行動計画を立てる
- “その場凌ぎの計画になってしまう”という経営課題がある。その背景には、社会、市場の変化の視点で行動計画を考えるよりも、“場当たり的”“対症療法”で考えてしまうという問題がある。更にその深層には、本来必要な“本質を捉えた行動計画”の策定能力が低い、粗い計画しか立てられないという問題が潜んでいる。
- これからは、“組織が自律して”課題を解決し、組織独自の価値を創造していくことが求められる時代である。その実現のためには、社会、市場、顧客の目線で、先読みした実行可能な、具体的計画として行動時点で現場が右往左往することのない行動計画が立案されなければならない。
- 計画倒れでなく、綿密な計画を立案することのできる“優れた計画策定能力”を育むことがこれからの時代に求められる。“その場凌ぎの計画になってしまう”となりがちであるが、本来必要な“本質を捉えた行動計画”にチャレンジしていかなければ、いつまで経っても“優れた計画策定能力”を育むことはできない。
アクションの時機を逸してしまう
- “アクションの時機”とは
- ここで問題とする“アクション”とは、マネジメントの際のアクションであり、いわゆる、マネジメントの[P][D][C][A]サイクルにおける [Action] であり、[P] 計画-[D] 実施・実行の結果を[C] チェック(報告、若しくは、データで状況を把握)して、[A] 差異がある場合、あるいは、首尾良く事が運んでいる場合に於いても、何故そうなったかを要因分析して対処(あるものや情勢に対して、適当な処置をすること。広辞苑第六版)することである。
- マネジメントにおける“時機”(適当な機会。ちょうどよい時。ころあい。おり。しおどき。広辞苑第六版)には2通りの意味合いがある。
- 厳密には、マネジメントサイクルをどれくらいの速さで回すかという問題である。この場合、[C] チェック(報告、若しくは、データで状況を把握)をどれくらいの間隔で行うかという問題にもなる。
- 状況を把握していたにもかかわらず、すぐに対処しないという問題である
- “マネジメントへの意識”、“問題意識”、“問題の起きる時期”、“アクションの速さ”でマネジメントの“善し悪し”が決まる。しかし、必要以上にマネジメントサイクルを短くしても、現場の負担を増やすだけで効果がない、即ち、“アクションの時機を捉える”ことにはつながらない。
- “アクションの時機を逸してしまう” の論点(捉え方の軸と筋道)
- ビジネス環境の変化に対して“アクションの時機を逸してしまう”と、やがては大きな変化の波に乗り遅れてしまい、競争優位性を失ってしまう。ひいては、企業の存続を危うくする。
- “アクションの時機を逸してしまう”理由
- 現在の状況が安定して上手くいっているからと油断して“アクションの時機を逸してしまう”とは屡々生じる。
- 誰しも、“火中の栗を拾わない”、“出る杭は打たれる” でいることが、安定した生き方の様に思える。だから、“変化”に対して“アクションの時機を逸してしまう”ことになる。
- 適確に状況を把握し、適切な時期にアクションが打たれているようにする
- 社会、市場の変化に対して、組織内にあるボトルネックを速やかに解消しなければならないが “アクションの時機を逸してしまう”という経営課題がある。その背景には、社会、市場の変化に対して“発見が遅れる”“把握が遅い”“過小評価する”“見当違いのアクションを打つ”という問題がある。
- これからは、“組織が自律して”課題を解決し、組織独自の価値を創造していくことが求められる時代である。その実現のためには、“適確に状況を把握し、適切な時期にアクションが打たれている”ようにしなければならない。
最終決裁が下りるまでに時間がかかる
- “最終決裁”とは
- “決裁”(責任者が、部下の提出した案の採否を決めること。広辞苑第六版)
- “最終決裁”とは、社内規定により決められた、若しくは、経営者により委譲された決裁権を持つ決裁者が下す決裁である。
- “最終決裁が下りるまでに時間がかかる”とは、部下の提出した案に対して、この最終決裁されるまでの期間が長いことを意味する。
- 最終決裁者に提案が提出される段階的に踏まれる工程が多数あって時間がかかる(上司の承認、上司の上司の承認、関係各部署の承認など)
- 最終決裁者が意思決定を渋る(遅らせる)
- 体裁、細かい形式の完備性にこだわり、差し戻しと修正の繰り返しで決裁に時間がかかる
- “最終決裁が下りるまでに時間がかかる” の論点(捉え方の軸と筋道)
- ビジネス環境の変化に対して“最終決裁が下りるまでに時間がかかる”と、やがては大きな変化の波に乗り遅れてしまい、競争優位性を失ってしまう。ひいては、企業の存続を危うくする。
- “最終決裁が下りるまでに時間がかかる”理由
- 監査に引っかかりたくないからと体裁にこだわり、“最終決裁が下りるまでに時間がかかる”ことが屡々生じる。
- 自分では責任を取りたくないことから、少しでも結論を伸ばすことで“最終決裁が下りるまでに時間がかかる”ことは屡々生じる。
- 本当に大丈夫なのかという自信のなさ、もう少し様子を見てからという日和見的な態度、情報を集めて確信を持ってからという慎重な態度から“最終決裁が下りるまでに時間がかかる”ことになる。
- 誰しも、“火中の栗を拾わない”、“出る杭は打たれる” でいることが、安定した生き方の様に思える。だから、“変化”に対して最終決裁が下りるまでに時間がかかる”ことになる。
- 今まさに必要なことをすぐに決裁する
- “最終決裁が下りるまでに時間がかかる”という経営課題がある。その背景には、“承認プロセスが長い”という意思決定のプロセスに関わる組織行動の仕組み、グループウェアシステムの問題もあるが、その本質は“集団で責任を分け合い、誰も責任をとらない”“誰も自らリスクテイクしない”という自己保身の組織体質の問題に端を発している。
- これからは、“組織が自律して”課題を解決し、組織独自の価値を創造していくことが求められる時代である。その実現のためには、以下の仕組みにより、“今まさに必要なことがさっさと決まってすぐに行動できる”ようにしなければならない。
- 権限が明確で、業務上の意思決定者が明確に定められている
- その権限に応じてリスクテイクすることが求められている
- 誰に言えばすぐに決まるか明確である
- いちいち周囲の誰かのお伺いを立てる必要はない
- 稟議、承認が簡素である
部下の成功は上司の手柄、上司の失敗は部下の所為
- “部下の成功は上司の手柄、上司の失敗は部下の所為”とは
- 人員削減が続くことで、または、経営環境が厳しく人員を増やすことができないなかで、一人ひとりに課せられた役割が増えて重くのしかかってきている。かつての様に、部下を育成する余裕、部下を助ける余裕が無くなってきている。
- 技術革新が速く、経験を積んだ者が経験を活かせず、貴重な経験が不要の長物と化し、むしろ、それ大事にすることがで足枷になってしまう。一方、若く柔軟性のある人達の方が新しい技術環境に素早く適応することができ、即戦力として、職場での経験年数は役に立たなくなってきている。
- 目上の者、先輩が若手を教え支援するという構図が崩れることで、教え教えられながら絆を作り上げて、チームワークを育み成果をあげていこうという動機が薄らいできている(こうした文化の必要のない組織では、“部下の成功は上司の手柄、上司の失敗は部下の所為”ということはこれまでも生じていた)。
- 成果主義の導入で、個人の成果が重視されることで、組織の中には自分の数字を達成しさえすれば良いという風潮が定着した。
- 成果主義において、部門長の成績は、部門の目標とする数字を達成することであり、部下はそのための駒でしかない。当然ながら、部門長の数字を下げる部下の存在は疎ましくなり、部門の成績が達成できないことの責任をその部下に負わせることになる。
- “部下の成功は上司の手柄、上司の失敗は部下の所為” の論点(捉え方の軸と筋道)
- ビジネス環境の変化に対して“部下の成功は上司の手柄、上司の失敗は部下の所為”でいると、やがては大きな変化の波に乗り遅れてしまい、競争優位性を失ってしまう。ひいては、企業の存続を危うくする。
- “部下の成功は上司の手柄、上司の失敗は部下の所為”理由
- 上から目線の経営においては“部下の成功は上司の手柄、上司の失敗は部下の所為”となることは屡々生じる。
- 経営者が、上司の言うことは大所高所に立って見ているから正しい、部下のいうことは見識が低いから誤っていると思っている場合に“部下の成功は上司の手柄、上司の失敗は部下の所為”こなることは屡々生じる。
- 組織内で起きていることを報連相で把握していると誤解していると“部下の成功は上司の手柄、上司の失敗は部下の所為”となることも屡々生じる。
- 誰しも、“火中の栗を拾わない”、“出る杭は打たれる” でいることが、安定した生き方の様に思える。だから、“部下の成功は上司の手柄、上司の失敗は部下の所為”となっても文句を言わないことになる。
- 上司の成功は部下の努力、部下の失敗は上司の責任
- “部下の成功は上司の手柄、上司の失敗は部下の所為”の組織文化であるという経営課題がある。その深層には、“上司の倫理意識が低い”という問題がある。
- これからは、“組織が自律して”課題を解決し、組織独自の価値を創造していくことが求められる時代である。その実現のためには、“上司の成功は部下の努力の成果であると評価され、部下の失敗は上司の責任であると評価される組織である”ようにしなければならない。
関連事項